正義は勝つ か?

[1+1=2]対[1+1=3]


どちらが正しいとされるか?
理論的に正しいのは言うまでもなく[1+1=2]。
しかし、[1+1=3]が正しいと信じる人が多ければ、
社会的には[1+1=3]が正しいとされる。


[1+1=3]が正しいと信じる人が実際には少なかったとしても、
声の大きな人が[1+1=3]が正しいと言ったり、
権威あると社会的に認められている人が[1+1=3]が正しいと言ったりすれば、
社会的には[1+1=3]が正しいとされる。


そうなると、[1+1=3]を正しいと考える人が、[1+1=2]と主張する人を、
馬鹿だアホだ低能だと罵ることで抑え込むようになり、
[1+1=3]が正しいという社会的な認識を覆すのが難しくなる。


覆すのが難しいとなると、その状態は長く続くことになる。
長く続けば、昔から正しいとされてきた考えだとされて、より覆すのが難しくなる。
時間が経てば経つほど、[1+1=3]は社会的により強固な正義となっていく。



理論的には、間違いなく[1+1=2]が正しい。
これは、理論的に認識出来る頭があれば、ちょっと考えればわかる。
そんなに賢くなくても、この程度のことは現実をありのままに見ればわかる。
「ちょっと考えれば」「現実をありのままに見れば」
逆に言うと、
ちっとも考えなければわからない。
現実をありのまま見ようとしなければ、わからない。
こういう人は、わからないので、[1+1=3]を主張する人に対抗出来ない。
もっとも、考えないくらいだから元々興味もなく、一々対抗する気もない。
だから、明らかな間違いながら、[1+1=3]がそのまま生きながらえることになる。


また、1+1を2でなく3としてると、沢山の矛盾が出てくる。
この矛盾をおかしいと思えば、[1+1=3]の間違いにも気づけるのだろうけど、
[1+1=3]を正しいと思い込んでる人は、この矛盾を超難解な理論を編み出して、
矛盾はないと結論付ける。[1+1=3]を正しいとする為に。


もちろんこの超難解な理論は、理論的におかしい。
理論的におかしいものをおかしくないと捻じ曲げるのだから、超絶的に難解。
普通に考えたら理解出来ない、超絶的に難解なものとなる。
そして、この難解な理論を使って[1+1=3]の正しさを主張し始める。
難解な理論の否定は、元が難解故にわかりにくいものにならざるを得ない。
おかしいと思いつつも、どうおかしいか説明出来ず、否定することが出来ず、
超難解な理論と共に[1+1=3]がそのまま生きながらえることになる。
明らかな間違いであることが簡単にわかるはずの[1+1=3]が、
社会的に正しいこととされ続ける。
[1+1=2]の正義は、ここまで勝てていない。負けている。



ここまでが、今現在の現実を観察した結果を[1+1]の例えで記したもの。
さて、そんな状態から[1+1=3]は間違いで、正しいのは[1+1=2]だと、
社会的に認識されるように持っていくようにするにはどうすればいいのだろうか?