累進課税は公平な課税である

まずは単純なモデルでの現実の確認。


賞金2。
これを巡って能力値1と能力値2が競えば、勝つのは能力値2。
そして、能力値2が賞金総取りして、賞金収入の比率は0:2
能力値では、能力値2は能力値1の2倍でしかないのに、
収入では、能力値2は能力値1に対して無限大の比率になる。


勝者が全取りの、個々が対決するタイプの競争社会だとこうなる。


これでは能力値1は生きていけない。生きる為にどうにかしないといけない。
賞金収入2を得た能力値2。この収入の一部を、糧を必要とする能力値1に分け与えることで、能力値1を自分の為に使うことが出来る。能力値2は能力値1を雇い入れる。
無収入の能力値1はこれを受ける他無い。


分ける収入を仮に0.5とする。
これで能力値2が収入1.5、能力値1が収入0.5。
そして能力値2と能力値1の収入比率は、3:1。


この能力値2(能力値1を加え、保有能力値3)が、別の能力値1と賞金2を巡って対決。
勝つのは、能力値2(保有能力値3)。


能力値2(保有能力値3)のトータル獲得賞金は1.5+2で3.5。
能力値1の1は0.5、能力値1の2は0。


能力値比率3:1:1が、収入比率3.5:0.5:0。。。



こういった競争を重ねると、能力値比率では2:1でしかないのに、
収入比率で100:1にも1000:1にも成り得る。


この収入差は公平か? 人がこれを公平だと感じるか?


「正当な競争の結果だから、公平だ!」という人もいるが、
多くの人がそのように感じるだろうか?


私が思うに、多くの人が公平だと感じるのは、
能力値比率が2:1なら収入比率も2:1となる状態ではないかと思う。
しかしながら、競争の結果で成り行きに任せると、
能力値の差は、その差に見合わない極端な収入差を招くことになる。
それを人々が公平だとして許容出来る差に収めるには何かしらの調整が必要で、
その方法として使えるのが累進課税


例えば、
能力値比率2:1で収入比率3:1なら、
前者に50%後者に25%の税を掛けて、1.5:0.75とする。これで2:1。
能力値比率2:1で収入比率10:1なら前者に85%後者に25%の税で、1.5:0.75として、2:1。
こんな感じ。


10倍の収入を評価してその分だけ差を付けようとすれば、85%を80%にして、
2:0.75とすれば、収入比率で約2.6:1。最初の10倍程ではないが、
能力値の差に多少色を付けた差を付けられたことになる。
こうした調整で、獲得賞金差を評価した収入差を作ることも出来る。
このように考えて作るのが累進課税の税率。
80%の税なんて税率高すぎてとんでもないと思うだろうが、
これは放っておけば付いてしまうとんでもない獲得賞金差を調整する為にそうなるだけの話。
課税した結果は、個々の能力値に見合う程度に差の付いた個々の収入となる。
とんでもなくなどない妥当な値になる。



注)ここで言う能力値は、単純な潜在的に持っている能力だけではなく、その能力を発揮する力も含むものとする。基礎的な能力が同じでも、怠け者と頑張り屋さんでは頑張り屋さんの方が値は上といった感じ。




以下余談。


累進課税による調整無しの収入を許すと、成り行きの必然でとんでもない資産を持つ超強力な人達が誕生する。この超強力な人達に、累進課税による調整を受けてる人達は太刀打ち出来ない。一部の人達だけに累進課税による調整を行って、調整無しの人達を放置すると、調整無しの人達の天下になってしまう。累進課税の導入が難しいのはこの為。


現実問題、累進課税による調整を行えるのは国内の人間にだけ。
国外の人間に累進課税による調整は行えない。
なので、累進課税による調整を行ってしまうと、国内の人間は一方的に蹂躙される。
よって、調整されない国外の人間に対する対策を行わねばならない。
その対策は、国外の人間に対して個人でなく国が対峙する方法しかないと思う。
国は個人間の競争に積極的に関与しなければならない。
国がルールを作って、超強力な国外の個人の力を抑え、
調整を受けてる国内の個人が戦えるようにしなければならない。
個人の自由な競争に国が関与してはならないなんて言葉を真に受けて、
関与を躊躇ってはならない。そうして、国内の人間を国外の人間から守らなければならない。
これが累進課税導入の条件。