考える時間

人の時間は限られている。
忙しく働いていると、考える時間がその分無くなる。
考えるのが仕事だと反論する人もいるだろうが、それは「考える」の意味が違う。

私が言っている「考える」は、
理解出来ていないことを理解しようとして考えること。
わからないことをわかろうとして考えること。

忙しいときに行うのは、頭の中にある考えをベースに物事を処理しているだけ。
新しいことを理解する為に考えることはしていない。
忙しいと、特に知的労働で忙しいという人はこの「考える」は非常に困難。
なぜなら、新しいことを理解しようとすると、自身の既存の考えを
正否不明の曖昧なものにしなければならないから。
そして、修正もしなければならなくなる。非常に困難。
だから「考える」が出来なくなる。

でも、これをやらないと人は自分の間違いを正せない。
間違えてるのに気付かず人前でその間違いを披露して、恥をかく。
人から間違いを指摘された時に、自己防衛の為の過剰反応をしてしまい、
呆れられる。馬鹿だと思われる。どうしようもないと見下される。
「考える」をしていない以上仕方ない。


「考える」をしていればどうか。
自らの間違いに自らで気づけるかもしれない。
間違えてるのに気付かず人前でその間違いを披露して、恥をかく。が、
人から間違いを指摘された時に、それに感謝でもって応えることが出来る。
自分の間違いを修正出来る。
これが出来る人は馬鹿だとは思われないし、見下されもしない。
一時的には恥をかくかもしれない。でも一時だけの恥。後は引かない。


話が逸れた。戻す。
忙しく働いている人は「考える」の時間が取れなくなる。
そうなると、考えの修正が出来なくなる。
間違ったまま、修正することが出来なくなる。
良い悪いでなく、そうなる。
それは仕方のないことと割り切らねばならない。


仕事量抑えられるなら抑えて、自身の考えの再検証をして欲しいとは思うけど、
忙しくて仕方ないというなら、そうなるのも仕方ないと思うしかないかな~と。。。。