モラハラの問題を考える前に 2

嫌がる程度も人による

 

■嫌かどうかは考え方次第

どの程度嫌がるかは、その人の考え方による。
相手から何がしかの行為をされた時、
その相手の行為を悪い行為だと思えば、やられるのは凄く嫌だけど、
それを普通の行為だと思えば、大して気にならない程度にしか嫌だと思わない。
基本的にはこれで、通常はこれに程度が加味され、程度に応じて嫌さが加減される。

 


〇世間一般の基準で悪いかどうか

世間的に少々なら許されていると思う行為で、少々であるなら

嫌であっても仕方ないと割り切り、大して嫌だと思わない。後にも引かない。
世間的に度を過ぎたら許されないと思う行為で、度を過ぎてると思えば、
仕方ないなどと思わず、凄く嫌だと感じるし、後々まで尾を引く。
どの程度嫌かは、相手の行為がどの程度かによる。
ただし、その行為を一切ダメと思っているなら、程度は関係なくなる。
一切ダメと思っている行為をしてる時点で凄く嫌だと感じる。
これはもうちょっとだけでもダメで、ちょっとだけでも凄く嫌だと感じる。
この嫌は考え方からくる嫌悪感で、物理的な被害の有無はまったく関係ない。


上記はどれも、やられる側の人が自身でどのように思っているかが基準になってる。
「世間的に」とは書いているけど、実際の世間一般の基準とは別の、
その人自身が世間的にそうなんだと思い込んでるものが基準。
人によって、実際の世間一般の基準とはずれている。
中には極端にずれてる人もいる。

 

 

〇自身の考え的に悪いかどうか

自分の考えとして、こうすべきというものがあり、
これに照らして悪い行為だと思えば、嫌だと思う。
世間一般では許されている行為であっても、悪い行為だと感じて嫌だと思う。
逆に世間一般で良くないとされてる行為でも、悪いと思わなければ嫌だと思わない。

こちらは自分の考えだから個々人で相当にずれてる。
いわゆる世間一般とも大きくずれてる。
同じ人などいないと断言出来るほどにバラバラ。

 

 

■「嫌かどうか」ではなく、「許せるかどうか」

「嫌」で書いてきたけど、実のところは“許せるかどうか”。
許せるとなれば少々嫌だと感じても別段気にならない。
だから、通常なら嫌と感じることでも、イケメンなら嫌でないとか、
愛しい我が子のすることなら嫌ではないとかいうことになる。

良くある、ブ男なら絶対嫌だけど、イケメンなら嫌でもないってのは、
ブ男なら許せないけど、イケメンなら許してもいいと思えるってこと。
行為自体同じでも、許せるかどうかで扱いが変わり、嫌かどうかも変わる。

 


■その時の状況次第
おおらかな気分でいる時は、少々のことは許せる。少々のことでは嫌だと思わない。
気が立っている時は、ほんの些細な事が許せない。ちょっとしたことで凄く嫌だと感じる。気分次第。人とはそういうもの。

そして、人は置かれた状況で気分が変わる。
単に気分だけなら一時のものと自身で自覚出来るけど、置かれた状況からくる気分は、
長期間継続するものなので、自身に自覚がない。自覚がないので、自分自身の気分によるものだとの認識なく、嫌だと思う。それがたとえ全然気にするようなものでなくとも、悪い行為でなくとも、嫌だと思い、相手に怒りを抱く。

 

■その人の強さ、耐性次第

単純に、強い人は少々のことではビクともしない。

弱い人はちょっとしたことでダメージを受ける。

受け流すのが上手い人は嫌なことに対する耐性が高い。

受け流せず正面から受け止めてしまう人は耐性が低い。

どの程度嫌がるかはこれらで変わる。

 

 

こんな感じで、ある行為を嫌だと思うかどうか、どの程度に嫌だと思うかは
その人次第のところが多分にある。その人の考え方や状況次第で全然変わってくる。

上記の観点を考えずに被害者側の言い分だけで物事を判断したら間違える。
被害者が嫌がってるからというだけでモラハラとしてしまうのは早すぎる。