モラハラの問題を考える前に 3

これらは悪いことなのか?

被害を受けたと感じている人にとっての加害者、
この加害者とされてる人は本当に悪いのか?

以下の場合はどうなのか、考えてみて欲しい。

 


■好き嫌い
好きはいいとして、嫌いな場合は扱いが嫌いな人に向けてのものとなる。
嫌そうな顔を向けるとか、挨拶がぶっきらぼうだとかしないとか、
無視するとか、悪口言うとか、、、

嫌いなんだから必然的にそうなる。好きな人と同じように扱うことなど出来ない。
これらはいけないことなのか?
嫌いな人であっても好きな人と同じように扱わねばいけないのか?

そうしないのは悪いことなのか?


もっというと、嫌いになってはいけないのか?
個人の好き嫌いを他者から強要されねばならないのか?
極めて個人的であるはずの好き嫌いという感情を、外部から規制するのか?
嫌いな人に向けての対応を禁じるというのはそういうこと。
私は禁じてはいけないと思う。その感情を表に出すことを含めて。
たとえ相手が嫌がろうと。

 嫌なら自身の嫌われる要素を正すとか、嫌われないようにするとか、
嫌われていることを受け入れて仕方ないと諦めるとか、やりようはいくらでもある。
にも拘らず、人の好き嫌いそのものを規制しようとするのか?

 

 

■能力差故の扱いの差
出来る者と出来ない者とでは扱いが変わってくる。
出来る者なら扱いは良いものになる。
出来ない者は、その扱いは当然悪いものになる。

これは好き嫌いの場合と違い、出来ないからといって特別悪い扱いをしていいわけではないと思うが、それにしても出来る者と同じ扱いには出来ない。出来ない者を信頼して出来る者と同じ仕事はさせられないし、褒めるより注意や指導が多くなるし、時には叱責もすることにならざるを得ない。
これは悪いことなのか? 仮にこれを悪いとした場合、では同じ扱いにするのか?
同じ扱いに出来るのか? 

扱いの差が能力故のものであれば、それが妥当なものであることを条件に許すべきだと私は思うが、如何?

 


■被害妄想
加害者側とされる者が特別なことを何もしていないのに、
被害者側が自身の思い込みで相手が悪いことをしていると思い込み、
被害を訴える被害妄想。
原因はほぼ全面的に被害者側にある。
悪いのは被害者だと思うが如何。


さて、これらにおいて加害者とされる側は悪いのだろうか?

被害妄想のケースは極端だとは思うけど、本気でこれで加害者責める奴らがいるからね。一応書いといた。

 


このシリーズは織田信成氏のモラハラ提訴を見て考えたものなのだけど、織田信成氏のブログを読む限り、濱田コーチの行動は嫌いな人に対してとる態度でしかないように思う。「最初は全く目線を合わせず挨拶を無視され、私の見える場所から陰口を叩かれ、私が近くを通ると話すのをやめるような行動が続きました。」って、これどう思う?

これをモラハラ扱いして禁じていいの? 私たちは感情のある人間なんですよ。