優生思想について

ある記事から。

「人間は生まれながらに優劣があり、劣悪な遺伝的素質は排除されるべき」
という“優生思想”を・・・

 


まず前半。
人間は生まれながらの優劣がある。その通り。
これは現実であり、現実である以上認めねばならない。

優秀な者は、優秀であるのだから、これを活かせるよう鍛え育てるべき。
でないと、もったいない。

 

後半。
劣悪な遺伝的素質は排除すべきか。

その前に、何故ここで“素質”となってるか疑問。

劣悪な遺伝子を持った人間ではなく、劣悪な遺伝的素質。何故?

とりあえず、遺伝的素質と書いてるので素質で考えるなら、
出来るのであれば排除した方がいいのは間違いない。
劣悪な要素排除して、劣悪な要素を持たない人間に出来るなら、
そうした方がいいのは間違いない。
遺伝子一切いじるな、遺伝子治療すら許さないという人なら別の意見だろうけど、
そうでない多くの人はこれに異議はないはず。


字面通りに捉えればこう。
だけど、“優生思想”を絡めての話だから趣旨は、
「劣悪な遺伝子を持つ者は排除されるべき」なのでしょう。
これであればどうか。

脊髄反射的に答えれば、ダメ!で、決して許されないとなるのでしょうか。
個々人が内心どう考えているかはわからないけど、
排除はいけないというのが一般的で支配的な考えとなってる。
そっちが正義となっている。たぶん。


で、私はどう思うか。

適材適所で相応に扱えばいいのではと思う。
優秀なら優秀なように、その能力を最大限に発揮出来るように扱う。
劣るなら劣るで、劣るなりに出来ることを最大限出来るように扱う。
能力が違うので同等には扱わないが、劣るからって排除することもない。

 

優生思想云々に関してはこんな感じ。
こんなもんでいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 


-------------------

以下余談

 

野田洋次郎の “遺伝子”ツイートに批判殺到「優生思想?」

今回のエントリ、この記事を見て書いたのだけど、この記事無茶苦茶ですね、色々。
文章、元の発言の捉え方、問題の捉え方、どれも出鱈目。
批判は、憶測やら類推やらで的外れなのばっか。
ALS患者の安楽死事件と絡めるとか、こじつけもいいとこ。


野田さんの発言は、悪気がなかったとしても“命の選別”を想起させてしまったのでしょう」(全国紙記者)だって、

想起は受け手の問題で、想起させた者にはまったく責任はない。


《なにより実名だして影響力ある人が全世界に発信していることがいけないのでは?? 私たちが数人で話すのとは訳が違う……》

元々の発言はそんな話では全然ない。
これを優生思想に絡めて考えるなんて飛躍が過ぎる。連想ゲームでしかない。
だから悪いのは連想して非難してる人達。非難してる人達全員が悪い。
その方向でこの記事を書いて全世界に発信している匿名の誰かさんは特に悪い。

 

私はこういう記事こそが激しく叩かれるべきだと思う。

叩いたからって止めはしないだろうけど、こういう記事を書いたものを叩くという行為を、もっともっと皆でやるべきだと思う。