「事実でない内容の放送」は言論の自由に含まれるのか

NHKニュース「ねつ造問題受け放送法改正へ」


関西テレビの「発掘!あるある大事典II」のねつ造問題をきっかけに、総務省は、事実でない内容を放送して国民生活への悪影響や人権侵害のおそれがある場合は、放送事業者に再発防止計画の提出を求めることができるよう、放送法を改正する方針を示しました。これは、総務省が21日の自民党の通信・放送産業高度化小委員会で明らかにしたものです。総務省の改正案によりますと、事実でない内容の放送で、国民生活などへの悪影響や国民の権利侵害のおそれがある場合は、総務大臣が電波監理審議会に諮問したうえで、まず、その放送事業者に再発防止計画の提出を求めます。次に、提出された計画に対する総務大臣の意見の内容を再び電波監理審議会に諮問したうえで、再発防止計画と総務大臣の意見を公表するとしています。これについて、小委員会に出席した議員からはこうした措置が必要だとおおむね理解を示す意見が出されました。これまで総務省は、いわゆる「やらせ」など、事実ではない内容を放送した放送事業者には、警告や厳重注意などの行政指導をしてきましたが、電波法で定められている電波の停止や放送時間の制限といったより厳しい行政処分は言論・表現の自由への介入になりかねないとして行っていません。総務省は、今回の改正案にある「再発防止計画の提出を求める」措置を、これまでの「行政指導と行政処分の間」を埋める新たな行政処分として位置づけるものだとして、今開かれている国会に提出することにしています。総務省がこうした法改正を検討していることについて、NHKの原田豊彦放送総局長は、記者会見で「放送番組の内容や制作のあり方は、憲法が保障する表現の自由言論の自由との関連で、放送事業者が自主的・自律的に対応するのが大原則であり、放送事業者側の責任ある対応が求められている。放送の内容が事実でないということをとらえて政府が新たな規制を行うことについては、表現の自由の観点から好ましくないと言わざるをえない」と述べて懸念を示しました。


まずは整理。
総務省が扱おうとしてるのは「事実でない内容の放送」
放送法改正で行おうとしてるのは「事実ではない内容を放送した放送事業者」への行政処分
行政処分として行うのは「再発防止計画の提出を求める」こと。と、公表。


「事実でない内容の放送」はやっちゃ駄目でしょ、普通に考えて。
その「事実でない内容の放送」をやれば何らかの罰を受けても仕方ないでしょ。
で、行政処分行政処分ったって「再発防止計画の提出を求める」だけ。
こんなもん罰という程のものじゃない。今度からはちゃんとしましょうねっいう程度のもの。



さてそれに対するNHKの原田豊彦放送総局長のコメント。
「放送番組の内容や制作のあり方は、憲法が保障する表現の自由言論の自由との関連で、放送事業者が自主的・自律的に対応するのが大原則であり、放送事業者側の責任ある対応が求められている。放送の内容が事実でないということをとらえて政府が新たな規制を行うことについては、表現の自由の観点から好ましくないと言わざるをえない」
前半部分はまあいい。
放送番組の内容や制作のあり方」は「放送事業者が自主的・自律的に対応するのが大原則」。
憲法が保障する表現の自由言論の自由との関連」で自主的・自律的にが大原則。
放送事業者側の「責任ある対応」が求められている。
まあいいでしょう。その通りといってあげてもいい。しかし、
放送事業者側が自主的・自律的に「責任ある対応」をしなければ?
これまで放送事業者自身が自主的・自律的に対応してきたか?
この大原則と言ってるものを蔑ろにしてるのは誰だ?
放送事業者自身ではないか?


次。
「放送の内容が事実でないということをとらえて政府が新たな規制を行うことについては、」

放送法改正で行おうとしてる行政処分「再発防止計画の提出を求める」こと。
これって規制か?

総務省が求めるのは再発防止計画の提出。 
再発防止計画を立てるのは「事実ではない内容を放送した放送事業者」自身。
総務省がこうしろというわけではなく、放送事業者自身が再発防止計画を立てる。
放送事業者が自主的・自律的に行うべき「責任ある対応」をやりなさいと言ってるに過ぎない。
これって規制というより指導だろ。大原則を守らせる為の。
また、再発防止計画を立てろと言ってるだけで放送内容には全然踏み込んでない。



「放送の内容が事実でないということをとらえて政府が新たな規制を行うことについては、表現の自由の観点から好ましくないと言わざるをえない」

どこが表現の自由の観点から好ましくないんだ?
どこが表現の自由に関わってくるんだ?
表現の自由にどういった影響があるというのか?

この放送法改正で「事実でない内容の放送」をすることは難しくなる。
と言うか、この放送法改正での影響はこの部分にしかない。
再発防止計画を立てろと言ってるだけで放送内容には全然踏み込んでない。
それが何故表現の自由の観点から好ましくない事なのか?
「事実でない内容の放送」も表現の自由として許されなければならないものと考えているのか?


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一部の人達は事実を捻じ曲げ言いふらし、それに対する批判非難に対し表現の自由言論の自由を持ち出して批判や非難を抑え込もうとする。一部の人達にとっては嘘を言いふらすことまでを表現の自由言論の自由に含めてしまってる。また、表現の自由言論の自由を持ち出されて怯んでしまう人も嘘を言いふらすことまでを表現の自由言論の自由に含めて捉えてしまってる。NHKの原田豊彦放送総局長がこのようなコメントを平然と出せるのも多くの人が嘘を言いふらすことまでを表現の自由言論の自由に含めて捉えてしまってるから。
嘘をつく自由、偽情報を流す自由は尊重すべきものではない。それは表現の自由言論の自由に含まれてない。

嘘だから表現の自由言論の自由に含まれていないわけではない。表現の自由言論の自由に含まれていないのはそれが情報だから。言論の自由で尊重すべきは言論のみ。言葉や文章として発するもの全てが言論ではない。情報は言論ではない。
これがわかっていれば表現の自由言論の自由を持ち出しての誤魔化しに誤魔化されることはない。
表現の自由言論の自由を持ち出されえも怯むことはない。


言論の自由で尊重すべきは言論

各人に、言論の自由が尊重されるべきとされたその根源まで遡って言論の自由の意味を再確認してもらいたい。



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情報は言論の自由に含まれない

言論の自由で尊重すべきは言論。
情報は言論の自由に含まれない。


これで世の言論の自由を巡る混乱は整理出来る。
世間一般に思われてる「言論の自由」から情報を伝える言葉を除くと、
言論に対し100パーセントの自由を与えても良くなる。


言論の自由は確かに尊重すべきものだけど、こういう発言は駄目だろう」とか
言論の自由があるにしたって自主的に控えるべきだろう」とか。

誰もがこう思う事があると思う。そして、それを念頭に、言論の自由は尊重されるべきものではあるが、現実には何を言っても自由なわけではない。言論の自由は無制限の自由ではない」と言論の自由を理解してると思う。現実に何を言っても自由なわけではないことを知ってるから辻褄が合うようこのような理解の仕方をする。そして、このような理解をしてるから言論の自由で許される範囲はどんなものかで考える。
では言論の自由で許される範囲とは?
これを考える時に行うのは、許されるものと許されないものが混在する中で、それを許されるものと許されないものに切り分ける作業。どこで切り分けるかに悩む非常に難しい作業。現実問題明確には切り分けられない。だから混乱する。この隙を突いて言論の自由の悪用もされる。




言論の自由は確かに尊重すべきものだけど、こういう発言は駄目だろう」とか
言論の自由があるにしたって自主的に控えるべきだろう」とか。

このように思う時に許されないと考える発言がどういうものかを思い起こしてみて欲しい。
その多くは情報に分類されるもののはず。
一部は気に入らない主張であり不快と感じる意見や主張。でも多くは情報のはず。
事実と異なる発言。
事実を捻じ曲げた発言。
でっち上げの根拠無き発言。
やってもないことをやったとする発言。
誹謗中傷等々。
これは全部情報。ある情報を他に伝えようとして発信するもの。
理屈などなくこうだと伝えるもの。こうだったと伝えるもの。
こういう事実があるのだと、あったのだと伝えるもの。
意見や主張でなく情報。
言論の自由に情報を伝える発言を含まないとすれば、これらは全て言論の自由と切り離して考える事が出来る。言論の自由を一切傷付けずこれらの発言を禁ずる事が出来る。言論の自由との兼ね合いを考える必要はまったくない。これらを取り除けば言論の自由は100パーセント認めていいものとなる。一々許されるかどうかなんて考える必要はなくなる。先に書いた難しい発言の切り分けをする必要もない。例外の無い100パーセント認められた言論の自由が確保されることになる




情報でないもう一方の許されないと考える発言、
「気に入らない主張であり不快と感じる意見や主張」
これはどうなのか?

正にこれこそが言論の自由で保護すべきもの。
言論の自由の尊重は為政者が気に入らない発言を抑え込むことを防ぐ為のもの。
為政者が気に入らない発言を抑え込むことを防ぐ為に法律に尊重を規定されてる。
耳に痛い批判や非難、不快に感じる自身の間違いへの指摘等々。
そういった抑え込みたくなるような気に入らない主張を抑え込ませない為に。
始まりは為政者に抑え込ませない為であったが今は為政者に限定したものではない。
誰もが気に入らないからと言って発言そのものを抑え込んではいけないとなってる。
(何故そうなのかはこちらに書いてるのでここでは省く。)
この「気に入らない主張」というものこそが言論の自由で保護すべきもの。

それが「現実には何を言っても自由なわけではない。」という考えを基に抑え込もうとされる事が多々ある。許される必要の無い禁じられるべき情報発信を言論の自由に含めて捉えてるからこういう事になる。言論の自由の中に禁じられてもいい特例が設けられる為にこういう事になる。結果、尊重すべき言論の自由が蔑ろにされている。


言論は100パーセント自由。
情報は言論ではない。言論の自由には含まれない。
事実と異なる偽情報は禁じられるべきもの。


これで物事はスッキリする。
各人これを現実の色々なケースに当て嵌めて検証してみて欲しい。
納得出来る切り分けが出来ることが実感出来るはず。
やってはいけないと感じるものがやってはいけないものとなり、
認められるべきと感じるものが認められるものになる事を実感出来るはず。
言論の自由を悪用してる人は納得しないでしょうけど)




参考エントリー
言論の自由は嘘まで許してはいない



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