従軍慰安婦を巡る騒動の功

従軍慰安婦問題大騒ぎ大歓迎! 非難の声だって大歓迎!


今回の非難決議案を巡る騒動で従軍慰安婦に疑問を呈する人達の存在が日本の一般の人々及び欧米の政治に関心の高い人々に知られる事になった。従軍慰安婦を否定する主張の存在が多くの人に知られるようになった。相手にする気にもならない一部の特殊な人達のトンデモな主張としてではなく、首相までが組する無視出来ない主張として認識されるようになった。反感を買ったかもしれない。でもそれは反感を買うくらいに知られたということ。
これによって人々の意識の中で確定してた従軍慰安婦の存在がこのことで多少なりとも揺らいだはず。首相、閣僚、議員、地方議員、評論家等々の社会的地位のある人達が同じような否定の主張をしてるのだから揺るがさなかったはずがない。もしかしたら違うのかもという疑いは芽生えたはず。




今は河野談話が出た当時とは違う。言われっぱなしにはならない。あちこちで否定する発言が出てくる。日本国内に限っては否定の声の方が大きいのではないかとすら思う。否定する発言を非難するニュースや記事もこの否定の声を大きくすることに貢献してる。安倍総理の強制性の否定はニュースや記事で大きく取り上げられたことで、政治に特に関心の無い人達の耳にも入った。ニュースや記事の論調が否定論の非難であっても、ともかく否定論が耳に入った。騒がれれば騒がれる程否定論はその存在感を増す。そうなれば関心を持つ人も増えてくる。欧米でもそう。好奇心に駆られて関心を持つ人が出てくる。否定の声を挙げ続ける限り非難の声も私達を利するものになる。


従軍慰安婦の問題が取り上げられ騒がれることで、人々の意識の中での確定事項であった従軍慰安婦の存在が徐々に疑惑を含んだものに変わっていく。騒ぐのを止めたら多分元に戻る。疑惑は霧散して確定事項として従軍慰安婦を認識し直す。しかし騒ぎが続ければ疑惑は消えない。騒ぎが大きくなれば疑惑は大きくなる。


関心を持ってなかった人達は最初は既存の意識から否定論に否定的だと思う。しかしこの人達の従軍慰安婦の存在に対する拘りは薄い。特に政治に関わってない民間人は拘りが薄い。あるいは無い。この人達の認識を覆すのは容易。つまりは覆せる。



現時点では従軍慰安婦問題は解決しないほうが良い。騒ぎは収まらない方が良い。引っ張れるだけ引っ張って話題にし続けるのが良い。


今後の南京大虐殺もこのような展開を期待する。大騒ぎになればなる程良い。

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追伸:
私は他の人と違って楽観的な見方を書いてる。
でもこれは嘆いてる人や怒ってる人の否定ではない。
そういう人がいてくれてこその楽観論。大いに嘆き、怒って欲しいと思う。

しかしそれが過ぎて失望して投げやりになったり諦めたりはしないで欲しいと思ってる。
そうならないようにと思って希望の持てる見方を私は書いてる。
とはいえ無理にそういう見方してるわけでもない。実際良くなってきてる。
左傾化のスピードは確実に落ちてる。私自身は本気で楽観視してる。
だもんで本気で怒れなくてちょっと困ってる。

皆が楽観論書いて楽観視しだすと手を抜くようになって困るけど、
悲観的なものばかりでも疲れて燃え尽きたり制御出来なくなって暴走しそうで怖い。
激しく怒りつつも常にどこかに心の余裕を持ってて欲しいと思う。