自分の外にある判断基準

「外交と安全保障をクロフネが考えてみた。」の「KなんてYめなくていい。」に触発されてのものの続きです。
再度書きます。私とクロフネさんとでは「空気を読む」の意味という話の大前提の部分で違ってます。私は私の捉える意味での「空気を読む」で書いています。話を展開させてます。私の書く「空気を読む」は、クロフネさんとは違う意味の「空気を読む」です。それを踏まえて読み進めることをお願いします。


私とクロフネさんの意見の違いとみえるものは全てこの前提としてる「空気を読む」の意味の違いからくるものです。突き詰めると違いはそれだけです。両者の書いてることを「空気を読む」ではない別の言葉で書けば双方が同意出来るものになりもするでしょう。少なくとも私はクロフネさんに同意したはずです。相手の考えや意見に合わせるなというクロフネさんの趣旨には私はまったくもって同意なのですから。ついでに言うと同じ「空気を読む」で書いてはいてもその意味は違ってますから内容的にはかなり違うことを書いてます。一部重なってるかなという程度です。
もし余裕があるのであれば、言葉の意味の捉え方でここまで後に続く話の展開が変わり、結論までがまったく逆になってしまうことに注目して欲しいと思います。そうすれば言葉の意味が変わってしまうことの恐ろしさを感じてもらえるのではないかと思います。


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■自分の外にある判断基準


空気を読んでその場のやり方に合わせる場合、善悪の判断基準はその場のものになります。個人として持ってる善悪の判断基準は棚上げして、その場の善悪の判断基準に合わせることになります。自身の善悪の判断基準は棚上げにしますから、その判断基準と違う基準であっても合わせることが可能なわけです。このことが様々な特質をもたらします。


相手の価値観を変えようとしないから違う文化と接しても衝突しない。
相手の判断基準で相手を見るから相手を悪い人達だと感じない。
相手を悪い人達だと思わないから差別意識が芽生えない。
相手側にしたら自分達を好意的にみてくれるのだから悪い気はしない。
自分達と同じ判断基準で行動してくれるなら受け入れに抵抗がない。
よって異文化の人達と大して摩擦を起こすことなく交流が可能となる。


そして、、、


相手を悪い人達だと感じないから相手のやってる事にも抵抗を感じない。
相手の判断基準でそれを見て、またやってもみて、その良さを体感として知る。
よって、相手の良いところを謙虚に学べる。自ら進んで取り入れもする。


相手のやり方の良さがわかり、取り入れることにも抵抗がない。
そして元々自分のいた場のやり方の良さを知ってもいる。
こうなると考えるのは良いとこ取り。
元々知ってるやり方の良さを残しつつ新たな良いやり方を取り入れる。
自身の確固たる判断基準を持っていれば抵抗感があって出来ないが、
その場その場で判断基準を変えられる者にはその抵抗感がない。
抵抗感なく二つのやり方を掛け合わせてのより良いやり方を編み出す。
周りのその場その場で判断基準を変えられる者も抵抗感がないから良いと思えば受け入れる。
その受け入れる者の数が増えてくればそれがその場の空気となって、
空気で判断基準を変える者達がそれに合わせていく。流行のやり方となる。
それが良ければそのまま定着するが、悪ければそのやり方は捨てられる。
取り入れることに抵抗感が無い分捨てるにも抵抗がない。良くないとなればあっさり捨てる。
その間にもまた別のやり方が入ってきてそちらに乗り換えるなんてことにも。
その新たなやり方と以前のやり方の融合が試みられたりも。
そうこうしつつ次々とやり方が変わっていく。同時に取捨選択されていく。
良いものが残っていく。微調整された極端でない良いやり方が残っていく。
これを果てしなく繰り返す。



このようになります。
良し悪しは置いといて何かを連想しませんか?
日本人の性質そのままだとは思いませんか?
これらは空気を読みその場その場でやり方を変えるという性質からきてます。
良くも悪くも日本人の性質を決めてるのはこれです。

貪欲に他所の文化を取り入れ、ただしそのまま取り入れるのでなく日本風のアレンジを加え、それでも元々の日本を失うことなく残し続け、変わり続けてきた日本の文化。私はこんな日本の文化をすばらしいと思います。誇れるものだと思っています。このような日本を可能とする、善悪の判断基準を社会が作り出した空気に合わせるというやり方を、今後も日本人に続けて欲しいと願っています。



たぶん後で詳しく書くことになるのではないかと思うけどついでに一言。
変化し続けた日本文化だけど、一貫して変わってないものもある。
『絶対的価値観の拒絶』
何でも抵抗無く取り入れるが絶対的価値観だけは決して取り込まない
絶対的価値観を受け入れたら日本独特の文化、和の文化は終わる。


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