理想の社会:「出る杭は打たれる」


無能者がはみ出し者とならず、そこそこ幸せに暮らせる社会。
突出した有能者がはみ出し者となって、苛烈な人生を生きる社会。


これは現実の日本的な社会に近いもの。「出る杭は打たれる」という日本的な社会に近いもの。この日本的な社会が、共産主義の理想や新自由主義の理想より遥かに理想的と私は考える。



日本社会の「出る杭は打たれる」は、存在することすら許されないわけではない。共産主義国家や宗教国家の異端者弾圧のようなものではない。冷遇されるだけ。辛くはあるだろうが、殺されはしないし、思想改造を施されるわけでもない。白い目で見られながらも出る杭で居続けられる。そして、もしそれが周りから理解されたなら、はみ出し者が先駆者に変わり、白い目は称賛の眼差しに変わったりもする。「出る杭は打たれる」という試練を自身の有能さで乗り越えた暁に。
そんな「出る杭は打たれる」は、周りから突出する程に有能な者にとっては適度な負荷。並の負荷だと軽過ぎて物足りなく思う有能者にやる気を起こさせる適度な負荷。自惚れを防ぎ、自身を見つめ直すことを強いる好ましい負荷。故に、「出る杭は打たれる」も、理想の社会に欠くべからず一要素。と、私は考えている。


有能な者は有能故にどうしても突出してしまう。その突出をいきなり称えたらソイツは天狗になる。思い上がって自身の間違いに気付けなくなる。自身の間違いを認められなくなる。有能な者は、最初の内は周りから叩かれるくらいの方がいい。本当に有能ならそんなもんで潰れやしない。叩かれることまで自身の糧にして成長する。その意味でも「出る杭は打たれる」は、理想の社会に欠くべからず一要素。


「出る杭は打たれる」は、有能なわけでなく不良だからはみ出してしまってる者を抑え込む為にも必要。有能なわけではないのだから叩かれたら潰れる。潰れたら周りへ害を及ぼすことはない。害ある者が周りに害をまき散らすことを防ぐという意味でも「出る杭は打たれる」は、理想の社会に欠くべからず一要素。


「出る杭は打たれる」は、有能な者に面白さを与える『克服すべき課題』でもある。有能者が「楽しさ」「面白さ」「嬉しさ」を感じる為にも、必要な一要素。(「改めて、理想の社会 」参照)




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