理想の社会:有能者と無能者の幸せ


無能者がはみ出し者とならず、そこそこ幸せに暮らせる社会。
突出した有能者がはみ出し者となって、苛烈な人生を生きる社会。


突出した有能者は苛烈な人生をチャレンジ精神で楽しむ。
逆に平穏には物足りなさからの退屈を感じ、耐えられない。
苛烈でないと幸せに生きられないのが、有能な者。
無能者は苛烈な人生には上手く対処出来ず、これを苦痛としか感じない。
平穏でないと幸せに暮らせないのが無能な者。


この嗜好の違う両者が共に幸せに暮らせる社会が上記の社会。
私はこんな社会を理想と考える。



無能者がはみ出し者とならず、そこそこ幸せに暮らせる社会。
突出した有能者がはみ出すことを許されず、でもそこそこには幸せに暮らせる社会。


これが共産主義の理想の社会。
誰もが一律に、そこそこ幸せに暮らせる社会。
有能な者も無能者にならねばならず、有能者には生殺しとなる辛い社会。
私はこんな社会がいいとは思えない。



突出した有能者がはみ出し者とならず、苛烈な人生を生きる社会。
無能者がはみ出し者となって、苛烈な人生を生きる社会。

これは新自由主義の理想。
終始競争。突出出来れば天国、出来なきゃ地獄。
誰もがそんな苛烈な人生を生きる。
ちなみに突出出来るのは極一握り。
極一握りの有能者になれない無能な者には辛い社会。
私はこんな社会もいいとは思えない。


やはり私の好みはこれ。

無能者がはみ出し者とならず、そこそこ幸せに暮らせる社会。
突出した有能者がはみ出し者となって、苛烈な人生を生きる社会。


これは現実の日本的な社会に近いもの。「出る杭は打たれる」という日本的な社会に近いもの。この日本的な社会が、共産主義の理想や新自由主義の理想より遥かに理想的と私は考える。故に私はこの理想の実現を目指したい。というか、この理想に近い日本社会を守りたい。



無能者は、有能者の反対語としての無能だかんね。こんなもんに一々反発心覚えないで読んでね。


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