不正の責は不正をやってる奴にある
末端の不正の責任はそこの管理者にあるなんて言葉に騙されてはいけない。
不正の責任は管理者ではなく不正をやってる当人にある。
不正というものは隠れたところで始められる。
それが徐々に他の者の知るところになる。
知るとはいっても曖昧だから処罰までは出来ない。様子見となる。
その間に不正は酷くなっていく。
不正が酷くなり明らかになったころにハッキリと内部で問題化する。
ここで不正をやってた奴はいう。
「不正を知ってて見逃してたのだから見逃してたあんたも同罪だ」と。
「不正が発覚したら責任問われるのはあんただぞ」と脅す。
あんた自身が困った事になるぞと。それでもいいのかと。
処罰出来なかっただけなので見逃してたというのは正しくない。
でもこういわれると曖昧ながらも知ってただけに見逃してたような気になって怯む。
こうして脅しておいて不正を続ける。
今度は本当に見逃す事になりますます言えなくなってくる。
それをいいことにおおっぴらに不正をやるようになる。
不正をやる奴の常套手段。
不正が世間に発覚したら、
見逃してた管理者が悪いと言い立て自身の保身を図る。
非難がそちらへ向かうように仕向ける。
結果上だけが処罰を受けて自身は罰を逃れる。
目障りな上がいなくなったことでまた新たな不正を始める。
「不正が発覚したら首が飛ぶのはあんただぞ。だから黙っておけよ」
この繰り返し。
不正を行ってる当人でなく管理者に対して責任追及する風潮がこの手段を有効にしてしまってる。責任者の管理責任は不正を明かして処罰すること。再発防止策を立てること。それをすれば責任を果たした事になる。その責任を果たしてなくとも負う責任は不正を明かす努力を怠った事と処罰をしなかった事のみ。行われた不正の責まで負ってはいない。その不正の責任を取る必要はまったくない。不正の責は不正をやってる当人にある。他の誰でもない当人にのみある。
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管理者の責任を問おうとしてる人へ
管理者への非難の影で実際やってた当人は処罰どころか非難もされずに逃げおおせてるぞ。
管理者への非難と、管理者への処分で終わらせていいのかどうかよく考えろ。
不正は決まりを無視して行われる。管理者の指示を無視して行われる。
どんな決まりを作ったってどんな管理者を連れてきたって無視されたら全て無効。
決まり無視する奴をそのままにしてたのではどんな対策も無駄。
責任者だけ責めてたのでは不正が無くなる事はない。
逆に上記のような手段の繰り返しでますます不正が蔓延るようになる。
不正を無くしたいなら不正を行ってる当人を責めなければならない。