利点と欠点のセット

何をするにしても弊害はあります。変更すればするで弊害はあるし、変更しないならしないで弊害があります。複数の案があるとして、そのどれを選んでも必ず弊害はあります。もちろん利点もあります。利点を求めての立案ですから、当然利点があります。でも必ず弊害もあるのです。利点の裏返しとしての欠点(弊害)が。利点と欠点はセットです。この二つは切り離せません。どの案を選択するかは、各案の利点と欠点のセットをつき合わせておこなわねばなりません。どの利点と欠点のセットを選ぶかという選択を行うわけです。


ここで意見が分かれます。何を重視するかでどれを選ぶかが変わってくるからです。スポーツカーを求めてる人は積載性は代償として諦められますが、ワゴンを求めてる人は積載性は譲れないところです。このように求めてるものが違えば、選択する利点と欠点のセットが変わってくるのです。


両者の意見をつき合わせて互いに譲り合って、少々窮屈ながらも4人乗車可能なスポーティワゴンあたりに落ち着いたりもします。これは良いとこ取りではなく、双方がそこそこに納得する為に、望まないものを譲歩して受け入れた結果です。意見を合わせて、より良い案を選択をしたわけではありません。案としてはどっちつかずで、あまり良い案ではありません。速く走れるわけでもないし、積載性は大した事ありません。双方の欠点が双方の利点を打ち消して、良いとこが無くなってます。双方そこそこに納得というところに価値があるだけです。



全ての案が利点と欠点のセットですので、選択はどの利点と欠点のセットを選ぶかで行わねばならないのですが、多くの人が欠点の方を考えてないのではないかと考えてます。利点ばかりに目が行って欠点に気付いてないのではと考えてます。欠点まで把握して選択しないと、適切な選択は出来ません。選んだ後でこんなはずではなかったなんて事になります。欠点承知で、その欠点を受け入れるつもりで、選択しないと後悔する事になります。


自身の主張の欠点の方を、皆さん考えてますか?  と問いたい


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全ての案が利点と欠点のセットです。そして最後は選択です。
選択となった時に選ぶのは良いものでなく納得のいくものです。つまりは好みに合うものです。ある人がどんなに良いと思ったとしても、好みの異なる者から見たらそれは良いものではありません。好みで選びますので良し悪しはあまり関係なくなります。良いと思うものが違うのですから、良し悪しで話してたのでは意見は噛み合いません。

全て利点と欠点のセットで選択は良し悪しでなく好みです。
そしてこれが文化の違いの所以です。どの文化もそれを好む人にとっては良いものです。好まない人にとっては悪いものです。重視するものが違うので、こういうことになります。文化は良し悪しではないのです。良し悪しも上下もありません。好みです。