毅然たる態度

安倍総理の発言は何時も同じ」の続き

マスコミが印象操作を行う信用出来ないものだとはよく知ってるだろうに何故それに乗せられてしまうのか。


思うに余裕の無さではないかと。それがマスコミに対する過剰反応になってるのではと。乗せられてる右派が反応してるのは安倍総理にではなくマスコミとサヨ。乗せられてる右派が安倍総理に求めてるのはマスコミやサヨに突っ込まれない事。突っ込まれると状況が悪くなると思うから安倍総理にそれを求める。ということだと思います。

「突っ込まれると状況が悪くなると思う」
この部分が余裕の無さです。ここに囚われてしまうところが余裕の無さ。冷静に考えてみて下さい。でっち上げてでも突っ込んでくる相手に突っ込まれないことが出来るでしょうか? 言葉の一部を前後の脈略断ち切って違う意味に変えて突っ込んでくる相手に突っ込まれないことが出来るでしょうか? マスコミ含む左翼がやってるのがこれです。中国や北朝鮮がやってるのもこれです。こんな突っ込みを受けない方法があるでしょうか?


ありません。こんなことされたらどうやっても突っ込まれます。このような突っ込みを避ける事は無理なのです。でも突っ込みでの状況悪化が気になってどうしても突っ込まれない事を求めてしまう。余裕の無さから無理な事を求めてしまってるのです。


突っ込みを避ける事は無理ですが、無茶苦茶な突っ込みですから突っ込みに突っ込みを入れるのは簡単です。それをやれば苦しくなるのは無茶苦茶な突っ込みをした側です。

ですが
無茶苦茶な突っ込みへの突っ込みは苦しくなるのが相手だけに実感出来ません。逆に突っ込みで状況が悪くなる事の方は自分側の事だけに強く感じられます。余裕がないと相手の苦しさまで気が回りません。状況が悪くなる事の方ばかりが気になります。それで突っ込まれない事を求めてしまうのです。これは余裕の無さです。
余裕コイてられる状況では無いでしょうけど、冷静さを欠く程に余裕を無くすというのは別です。
その辺ちょっと考えてみて下さい。


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無茶苦茶な突っ込みを気にして発言を制限してたら言いたい事が言えなくなってしまいます。相手は捻じ曲げてでも誤解(曲解)してくるのです。気にしてたら使える言葉が無くなってしまいます。主張の中身まで変えることになってしまいます。


誤解(曲解)を恐れず思うところを語り、
誤解されたらその誤解を解く為に辛抱強く思うところを語る。
どんなに悪く見られようと理解されなかろうと思うところを思うままに語る。
誤解されて嫌われてもそれでも怯まず思うところを思うままに語る。
批判や非難の集中攻撃を受ける事になろうと、誹謗中傷されようと、
激昂せず冷静に思うところを思うままに語る。

もちろん無茶苦茶な突っ込みにも動揺しない。
これが“毅然たる態度”です。
さてこれが皆さんにあるかどうか。自問自答してみて下さい。


主張が受け入れられる時は毅然たる態度は不要です。
毅然たる態度でいてもわかりゃしません。下手すりゃ迎合にすら見えます。
毅然たる態度が生きてくるのは主張が受け入れられない時です。
嫌われたり誤解される事にビビってちゃ話になりません

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