私が「強制連行で謝罪」に噛み付く理由

安倍総理従軍慰安婦の強制連行で謝罪した」と書いてる人を見かければ私は従軍慰安婦の強制連行では謝罪していないと反論するが、実際してないからそう言ってるだけで安倍総理のやり方が良いと思ってるわけでもない。今回の安倍総理の対応は決して良いものではない。私もそう思う。状況に対する謝罪はいいとしても強制連行の否定もして欲しかったと思う。もっと引っ張って大騒ぎして、従軍慰安婦問題を、問題の経緯まで含めたところで知らしめて欲しいと思ってたので収めてしまう安倍総理のやり方を不満に思ったりもする。人々の認識を覆すせっかくのチャンスを潰したかもと残念にも思う。


が、ともかく会談はあのような形で終わった。であれば私はあれを前提に考える。決定事項となった過去の事であり最早変えられないものとして今後の対応をあれを前提に考える。


安倍総理は状況に対する謝罪はしたが強制連行では謝罪していない。
となるととりあえず謝罪してないという事で論陣が張れるなと考える。
サヨが安倍総理が強制連行を認めて謝罪したと言ってもそれは違うと言い返せるなと考える。
誤解されたままで終わらせない為にはこの部分で揉めればいいかなと考える。
謝罪の対象となったものが何なのかで争えば勝てると考える。
というような感じで私は考える。



今現在サヨは安倍総理の発言であまり騒いでない。ちょっと予想外。もっと勝ち誇って言いふらすかと思ったのに。右派の方が謝罪”に反応して誤解してしまって安倍総理が強制連行で謝罪したと言いふらしてる。そういう人も多いとは思ったけど、予想以上に多い。途方に暮れるくらい多い。とりあえず今はこの誤解した右派にそれが勘違いであることをわかって欲しいと思う。


安倍総理への非難は別に構わないが、それが強制連行を認めたと言いふらすものでは困る。強制連行に対する謝罪を既成事実化するものでは困る。「謝罪の対象となったものが何なのか」で論陣が張るのが難しくなる。「謝罪してない」の部分でサヨと誤解した右派を同時に相手にしなければならなくなる。対立の構図がわかり辛いものとなり、関心の薄い人にはわけのわからない争いになってしまう。争う意義は関心の薄い人の耳に入れて従軍慰安婦問題がどんな問題かを少しでも知ってもらう事。わけのわからない争いでは耳に入っても何をやってるのか理解してもらえない。それが困る。そうならない為に右派にそれが勘違いであることをわかって欲しいと思う。今私はそう考えてる。