サヨの文章

サヨの個人至上主義は言葉の定義にまで及んでる。彼らの使う言葉は自分なりもので、世間一般と全然違ってたりする。でもって「自分はこの意味で使ってる」と平然と言う。その意味は違うといっても、自分にとってはこの意味なんだとかなんとかいって変えない。そのまま自分なりの意味で使い続ける。世間一般に合わせる気がない。だから一般的な言葉の意味で読んでたのでは彼らの言葉や書く文章は読み取れない。字面は追える。でもそれで何を言おうとしてるのか読み取れない。それがサヨの文章。
とはいえ文章の流れを読んでいけばまったくわからないというわけでもない。脈略からおおよそ見当はついたりする。なので私はサヨの文章を読む時には個々の言葉の意味は半分無視する。場合に拠ってはコピペして疑惑の言葉を伏字にして読んだりする。下手に単語が目に入ると混乱するので伏字にしてしまう。そうするとよくわかったりする。それがサヨの文章。


当人がこの意味で使ってると書いてたり、疑惑の単語の意味を問うた時に答えてくれたりで、その単語をどんな意味で使ってるかが明らかになる時もある。その時はコピペして言葉を入れ替えて読み直す。そうするとそれなりの意味の通った文章になる。問題点がより明らかになったりもする。時には問題がすっ飛んでしまうこともある。本来の問題はすっ飛んで、単なる言葉の意味の問題になったりする。このブログでもそれがあった。参照「止めなかった」
サヨの文章は言葉の使い方が出鱈目なものと考え文脈から解読する位のつもりで読む事が必要となる。



また、これは本気で間違って覚えてたものなのだけど、「反省」という言葉の意味を間違えて捉えてた人達もいた。その人は「反省」を単に過去の歴史を振り返る事と捉えてた。肝心の「自らの」抜きの、「悪いこと」抜きの、単純に過去を振り返る事だと。反省と言いつつ「自らの」でない過去を振り返る事を求める教師の言葉の使い方でそう思い込んでた。だから、その人達は単純に歴史を振り返れという意味で「反省しろ」と言ってた。しかしこう言われた方は反発する。なんたって「反省しろ」なんだから。で揉めてた。けど言葉の使い方が違うと言われて気づいてそれで収まった。何の事はない。言葉の意味が違ってただけ。こういうケースもある。サヨやサヨの教師に習った人の言葉の意味には気をつけた方がいい。無駄に揉めない為に。的外れなところで揉めない為に。


サヨと議論する時には言葉の定義の確認から始めることをお勧めします。




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