自然と起こる調整は過酷

市場原理主義
市場に任せていれば自然に調整され上手くいくという考え。
で、その“自然と調整”が今の経済混乱。
この混乱を放っておけば、その内安定する。
安定するまでの過程で死屍累々となるのだろうが、
そういった死屍累々こそが“自然に調整”。
失敗した者、間違った者、弱い者、
それらが潰れていくことこそが“自然に調整”。
今の経済システムは崩壊し、国すら崩壊するかもしれないが、
それもまた“自然に調整”。
そういった自然に起こる調整を放っておけば、いつか自然と安定する。
その意味では市場原理主義は間違ってはいない。


その意味では間違ってはいないが、自然に起こる調整は非情で過酷。
人口の増減に関して起こる自然の調整は餓死や病死や殺し合い。
悪政に対して起こる自然の調節は暴動や内紛や戦争。
そういった非情で過酷な調整を経て社会は安定する。
自然の調節機能に委ねるなら、そういう非情さ、過酷さまで受け入れなくては。
それが嫌なら自然の調節機能が働く前に、事前に調節しなくては。
自然に任せるか否かとは、そういう選択。


ちなみに自然に任せての安定状態とはピラミッド型。弱肉強食のピラミッド型。自然の調節に任せるとこの安定状態を目指して調節機能が働く。弱い中間層が下に落ち、強い上層部は持ち上がる。しかし持ち上がった上層部も、過多な部分は崩れ落ち、極一部のみが頂点として残る。そうしてピラミッド型となって安定する。自然に任せるという選択は、このピラミッド型を選択することでもある。



自然と起こる調整が過酷だということ再認識すれば、自然の調整に任せるなんて選択をしようとは思うまい。


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