ドン引きってのは、

ある人からのメッセージの中の一文。
『言葉使いや態度を指摘する人は「それで相手にドン引きされたら、もともこもないだろう」とか「マスゴミに印象操作される材料を渡すな」という主旨でそういう発言をするわけです。』


よーく知っている。これは私が政治に関心持つようになってから10年、ずっと対峙してきた問題。言葉使いや態度を問題する人達の言い分なんてわざわざ説明されなくとも知ってる。それらの言い分に対する反論もこちらには用意出来てる。が、今回は少し趣向を変えて“ドン引き”について。


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人はどういう時にドン引きするか?
私が考えるに、『ついていけない』と感じる時だと思う。
「とてもではないが、自分はそれに合わせることが出来ない。」
「自分にはあんなマネは出来ない。やりたくない。絶対に嫌だ。」
こういう時。


特アの悪口で盛り上がってる場があったとして、
他国の悪口はいけないと考えてるような人は“ドン引き”するでしょう。でも、特アの言動にウンザリしてる人は“ドン引き”する代わりに一緒になって盛り上がるでしょう。


護憲派憲法9条を世界に広めようなんて言ってる場に改憲派が出くわせば“ドン引き”します。逆に改憲派が軍事力の強化をなんて行ってる場に護憲派が出来わせば“ドン引き”するでしょう。


池田大作を皆で賞賛してる場があったとして、創価学会の信者でない人は思いっきり“ドン引き”するでしょう。信者でない者にとって、これ程“ドン引き”させられるものもなかなか無い。それ程にドン引きさせられる。でも、創価学会の信者は、嬉々としてその輪に加わる。当然ドン引きしたりもしない。
こんな感じで、どんな状況にドン引きするかは、その人の価値観や考え方次第。


とはいえ、価値観や考え方が違うからといって一々ドン引きするかと言えばそんなこともない。違うなら違うで、「そうではないだろ!」と互いに言い合って盛り上がったりもする。こういう時に“ドン引き”はない。では“ドン引き”となるのはどんな時か?


私が考えるに、それはその場が一色に染まっている時だと思う。その一色が自分と違う、自分はその一色に合わせることが出来ない、自分が何を言っても一色に染まってる皆から弾かれて受け付けてもらえない、言っても無駄。そういう時に“ドン引き”し、距離を取る。



以上を踏まえ、改めて、
『言葉使いや態度を指摘する人は「それで相手にドン引きされたら、もともこもないだろう」とか・・・』


皆が皆、荒い言葉や乱暴な態度を取ってたら、そりゃドン引きする人だって出てくると思う。それには同意する。しかし、皆が皆丁寧な言葉でもドン引きする人が出てくる。どちらであっても、皆の意見が揃ってて一色になっていればドン引きする人が出てくる。ドン引きが心配なら、一色にならないようにすることを考えるべき。「こうでなければならない」なんて言って全員を揃えると、それに合わせられない者はドン引きして逃げていく。荒い言葉を封じる行為は、一色に統一しようとする行為。ドン引きされるのを避けることが目的なら、荒い言葉を封じ込めようとする行為は間違い。荒い言葉から丁寧な言葉まで、幅広く認めることこそがドン引き”を避ける為の適切な方法。


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