偽善や狂信に導く人々の見分け方

ある人からのコメントからの抜粋です。

敵にも理があり、味方にも理があるのです。
ただ偽善や狂信に導く人々には、警戒心を抱きます。
しかし、偽善や狂信に導く人々の意見と、善意に基づく素朴な意見をどのように峻別するのか、教えてください。


以下が、これに対する私の答え。
意見そのものでは見分けられません。でも、言ってる者の態度では判断出来ます。ポイントは、

自分の意見とは違う意見に耳を貸すかどうか。


自分の主張を相手に丸呑みさせたいものは相手の意見を聞きません。相手の意見を無視して、あるいは自分に都合よくねじ曲げて自分のしたい話に持って行き、自分の言いたい事だけを繰り返します。
原理主義者、教条主義者、宗教等の信者は善意でこれをやります。良かれと思って、自覚のないままにこれをやります。絶対的に正しいと自分で考えてる自分の信じる考えを相手に押し付けようとします。
工作員や詐欺師は、悪意というか何らかの魂胆があって意図してこれをやります。相手の意見など聞いてては工作も詐欺も出来ません。相手の意見は巧みに抑え込み、相手に自分の意図するものを強引に押し込もうとします。
善意の有無という違いはあってもやることは同じです。
相手の意見を無視して、自分の言いたい事だけを繰り返す。
どちらも自分の意見を変える気がまったくないからこうなるのです。相手の意見に価値を感じてないからこうなるのです。これが『偽善や狂信に導く人々』です。用心すべきです。


素朴な意見の時は、言ってる者はもっと柔軟に対応します。こちらは自分の考えを絶対だと思っていません。自分であれこれ迷いながら辿り着いた自分なりの考えです。絶対と言える程の自信を持ってません。どこかで間違えてるかもとか、考えが足りないかもという謙虚な気持ちを持ってます。だから、他の人の意見も参考にしようとして耳を傾けます。考えてもみます。そして、相手の意見になるほどと思えば、相手の意見を取り入れ、自分の意見を修正します。こういう人の意見は、その人が考えたその人なりの素朴な意見です。間違ってることもあるけど、そこに悪意はありません。


人は誰でも必ず間違いを犯します。人の意見に耳を貸さない前者は、その間違いを修正出来ません。修正しません。故にドンドンおかしな方向に歪んで行きます。不可逆的に。詐欺師や工作員なら初めから歪んでます。人の意見に耳を貸さない人の意見にはそういった歪みがあります。それを強引に押し付けてきます。警戒心を持って接した方がいいでしょう。

後者も間違いを犯します。素朴な分だけ間違いも大きかったりもするのですが、でもこちらは他者の意見を参考にしてドンドン修正していきます。なので、そこそこの年齢になれば大きな間違いは無くなっていきます。いわゆる常識的な人となります。間違ったことを言ってたとしても悪意はなく、騙そうなんて気もありません。ただ、間違ってるだけ。こういう人が相手の時は、変に警戒せず話し合うことをお薦めします。


相手がこちらの意見を聞いて、それについて意見を返してくるなら、どんなに考えが違ってても噛み合ったやり取りが出来ます。サヨとネットウヨで楽しく意見を戦わせるなんてことも出来るのです。互いの意見が違えば違うほど、新たな発見のある有意義な会話になります。意見が違うからと毛嫌いせず、頭から相手を否定したりせず、ちゃんと向きあって話をして欲しいなと思います。



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