異論・反論は理解した後で
コメント欄からの引用です。
『御互い理解に努めるためにも、建設的な議論が必要ではありませんか。異論や反論が「理解しようとしていますか」と、問われているのであれば、極めて心外です。』
異論・反論は理解した後です。
異論反論は、相互理解の為ではなく、その理解した相手の意見の欠陥を指摘する為のものです。異論反論は意見の欠陥を指摘する為のものですから、異論反論を受けた者はその異論反論を理解し、自身の意見と異論反論とを照らし合わせ、自身の意見の欠陥部分を修正します。こうすることで意見をより良いものに変えていく。これが建設的な議論です。
適切な異論反論は、その対象となる意見を理解していないと出来ません。相手に異論反論をぶつけて相手の意見を理解しようというのは、理解する方法としては間違ったアプローチです。
余談:
相手に異論反論をぶつけることで、相手の考えを探るという手段もないわけではありません。出鱈目に異論反論ぶつけて、相手に「そんなことを言っていない」と言わせれば、その分だけ絞り込みが出来ます。相手は誤解されてると思い、誤解が広がることを恐れ、誤解を説こうとして、「そうではなくこうなのだ」と懸命に説明しようとするでしょうから、それをみて理解の役に立てることも出来ます。一つの手ではあるでしょう。
が、やられる方は堪りません。異論反論は理解してからやってください。異論反論をぶつけることで理解しようとしないでください。おかしいと思うなら、異論反論でなく、質問をして下さい。
参照:
『お気楽に石投げんな』
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20110118/1295354128
おかしいと思ったらすぐに意見(異論反論)を、みたいな考えが広まってるのですかね。批判精神の一種として推奨されてきたような気がします、進歩的文化人とマスコミによって。批判するその前に、まずは理解しようとしろよって言いたくなるのですがね、私は。