起訴段階で有罪扱いするな

10月9日付朝日新聞オピニオン欄、佐藤善博弁護士
「強制起訴 冤罪防止には問題ある制度」から。
(実は「植草一秀の『知られざる真実』」に引用されてたものから)

 今回の議決では、検察審査会を、「検察官が起訴をちゅうちょした場合、国民の責任で公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度である」と述べています。
 
 この見解では、無実の可能性のある人が起訴されることによる負担が忘れられています。私か多くの冤罪事件で弁護をしてきて感じるのは、無実の人が起訴されて被告人となること自体が本人や家族にとって精神的、経済的に非常に大きな負担になるということです。
 
 普通の会社員なら起訴されるとほとんどが解雇され、生活が行き詰まります。家族も犯罪者の家族と見られて苦しみます。後で無罪判決が出たとしても、公務員なら復職できますが普通の会社員では復職も難しいのが現実です。


そう、これがなかなか起訴出来ない理由。有罪か無罪かわからない段階で有罪扱いにしてしまうから、上記引用のようなことになり、そうなるから検察はなかなか起訴が出来ない。また、容疑者の方も、裁判で白黒つけようという気にならず、何とか起訴されるのを避けようとする。起訴段階での有罪扱いが全てを歪めてる元凶。歪みを正す為には、起訴段階で、解雇とか、役職辞任とか、離党とか、議員辞職とかを求めてはいけない。これは厳に慎まねばならない。


起訴段階で事実上の罰を与えるのは、検察ではない人々。調査資料など持っておらず知りもしない検察以外の人々。
起訴段階では、全てが疑いでしかなく、まだ何もわかってない。起訴した検察はあるある程度わかっているが、検察以外の者にはわからない。何もわかってないのに、「やったんだろう」とか「やったに違いない」とか決め付けてしまってはいけない。人を悪く言ったり罰を与えたりは慎重に行なわねばならない。よく知りもしないで、疑いだけで悪く言ったり、罰を与えたりしてはならない。疑いだけで悪く言うのを許したり、罰を与えるのを許してはならない。


これが出来るかどうかが、検察含む司法制度全般を『推定無罪』『疑わしきは罰せず』を基本とする本来の在り方に戻せるかどうかの鍵。



で、一先ず結論。
よく知りもせず憶測だけで人を悪く言うな。罰するな。
まずはそこから。



ちなみに佐藤善博弁護士や植草一秀の記述の他の部分にまで同意なわけではありませんので、誤解無きよう。



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小沢一郎強制起訴の件。一方はこれを口実に小沢を排除したい。一方はそれを阻止したい。この両者にとって小沢が本当は有罪なのか無罪なのかは実のところ関心ない。前者は無罪でも有罪に、後者は有罪でも無罪にしたい。両者ともハッキリしたことは何もわからないままに、有罪だ無罪だとやっている。こんなことやってるから制度が歪む。こういうのも止めてもらいたい。それで小沢を潰せたり、或いは小沢を守れたりしても、他のケースに支障が出る。混乱して収拾がつかなくなる。目先の利益を追って原則捻じ曲げんな。