働き始める動機は「仕方なく」

仕事なんてのは、ほとんどの場合、嫌々ながらも生きる為に仕方なく始めるもの。極稀に、その仕事がしたいから始めるってのもあるが、それでも最初にやらされるのは結構嫌な仕事だったりする。それでもやるのは、その嫌な仕事を超えた先にあるやりたい仕事をしたいから。嫌々ながら仕方なくってのは一緒。仕方がないと思わなけりゃ仕事なんて面倒で疲れることは始められない。


始めてしまうと、始める前に感じた程には嫌なものではなくなり、面倒臭いと思いつつも続けられる程度には馴染む。馴染めば、面倒臭さが消える程でもないが、そうそう苦にならない程度にはその仕事に抵抗を感じなくなる。また、それなりの面白さを感じるようにもなって、面倒臭くはあるのだけど、この仕事をやっていたいという気持ちも芽生えるようになったりもする。
それでもやっぱり仕方なくの部分は消えない。本音はやっぱり仕方なく。仕事である以上気が向いたときだけってわけにはいかず、嫌でもやらなければならない。でないと収入がなくなって生きていけなくなる。嫌でもやらなきゃいけない。仕方ない。仕方なく働く。
ほとんどの人はこんな感じで働いてるのでは?



さて、そんな感じで働いてるであろう人が、働かなくとも生きていけますよってことになったらどうなるか?
きっと働く動機を失って働けなくなる。
嫌でも働かなきゃいけないとなれば、無い気力振り絞ってでも働く。
苦しくとも辛くとも、なんとかして働く。仕方ないと諦めて働く。
が、
働かなけりゃ働かなくていいよなんて言われたら、それが出来なくなる。
働こうという気持ちを起こすのが大変になる。


自分の気持ちを奮い立たせることが非常に困難になって、働こうにも働けないって状態になる。働く動機を失ってしまい、仕事をすることが大変な苦痛になってしまう。こうなるととてもではないが働けない。
無理やり働いたところで気が入ってないからボロボロ。でもってますます輪を掛けて嫌な気持ちにさせられる。自尊心ズタズタになって負のスパイラルに落ち込む。そんな状態の奴なんか使い物にならない。なので、使ってもらえなくなる。働けないし、働かせてももらえない。そんなどうしようもない状況に陥る。


失業者への生活保護は失業者をそんな状態に追いやる。彼らから働く動機を奪い、仕事を大変な苦痛を伴うものに変えてしまう。その為に彼らは満足に働けなくなる。今まで出来た仕事すら出来なくなる。助けようとしての生活保護なのだろうけど、生活保護は彼らを仕事の出来ないクズにする。働けば人並み程度には働ける人達を、使い物にならない厄介なだけのゴミにする。失業者に生活保護を与えるってのはそういうこと。



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