窮屈なのは、

絶対的な基準がなく、それぞれが周りに合わせる社会というのは、窮屈そうに思われてても実はユルユルです。元々が堅苦しかったとしても、そこに緩い奴が入ると周りがちょっとずつその者に合わせて緩くなります。また別の雰囲気を持った者が入ってくると、それに引っ張られて全体の雰囲気も変わります。中の人次第でどうとでもなるのです。こんな社会が窮屈なはずありません。



本当に窮屈なのは宗教的戒律の場合です。その価値観は絶対で、人に左右されません。細かいところまで「こうでなければならない」とされてますから、中に居る者は細かいところまで合わせなければなりません。融通は利きません。個々の差異は無視され、誰もが一律に一方的に、絶対的にそれに合わせられることが求められます。これは窮屈です。


全体としては周りに合わせる社会の日本ですが、部分的にはこの宗教的戒律の場合のような状況になることもあります。宗教であるカルトの場合と、思想(イデオロギー)の場合です。どちらも「こうでなければならない」であり「それ以外許さない」。これはもう周りにあわせる社会ではありません。日本的な社会のあり方ではありません。ユルユルで曖昧な日本の社会の中で窮屈さを感じるのはこうなってる時です。周りに合わせるから窮屈なのではなく、絶対的なものに絶対的に合わせることを強いてくるから窮屈なのです。これを混同しないで下さい。元々の日本の社会は、何でも取り込んでしまえる程ユルユルです。絶対的価値観に縛られていない柔軟性の高いユルユルな社会です。




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