企業と国の違い 切り捨て

企業レベルの話で国レベルのことを考えてはいけない。
国はどんなに出来の悪い人でも切り捨てて終わりには出来ないのだから。


これに納得なら以下は蛇足。読まなくていい。

 

問題ある人がいるとする。
企業と国はそれぞれこの人をどうするか。

企業はこの人を切り捨てて終わりに出来る。排除で問題解決と出来る。

国は、切り捨てられない。排除も出来ない。唯一、死刑での排除のみ可能。極めて少数の例外。基本的に、抱えたまま問題を解決していかねばならない。

 

企業
環境面の対処は考えるし、するが、結局のところ
悪いとこ直せ、良くなれ、という、変わることの要求。
ダメなら退職勧告。退職したら終わり。



全体に向かって意識改革を求めることで変えようとする。改善の為の個別対処はほとんど不可能で、特別悪い場合のみ個別に処罰や隔離で対処する。
ただし、隔離しても面倒は見なければならず、終わりには出来ない。かといって、最終的に良くするところまで持っていけるわけでもない。まったく良くならないかもしれない。それでもそのまま抱えておかねばならない。問題ある人が居続ける状態を前提に考えねばならない。


なので、ビジネス書でよくある、自己啓発的な
「こうしなさい」「これはしてはいけません」は、
企業レベルでは問題の解決策になり得るが、
国レベルでは解決策にならない。


ちなみに、個人レベルでも切り捨てて終わりに出来ない場合は同じ。
この場合に必要となる解決策は、問題ある人に対してどう対処するか。
切り捨てて終わるビジネス書は、この辺りあまり参考にならない。
国レベルのことを考える時は、誰も切り捨てないやり方を考えねばならない。

 

この違いで、各種問題の対処法が全然違ってくる。
企業レベルだとよく出てくる少数精鋭の方向での方策は、企業レベルだから良く見えるだけ。国レベルではまったくもって問題外。この手の解決策は考慮に値しない。どんなに出来が悪くても切り捨てでない方法を考えねばならない。

 

企業レベルでの笑い飛ばされるような無能なバカは、国レベルでは笑えない深刻な問題。バカにして笑い飛ばして終わりとしてては国レベルの考えは出来ない。