求めるのは快感。それと、不快の解消

自身が置かれた状況が良い人は、不快事項はあまりないので主に快感を求める。
快感は慣れる。より上の快感を果てしなく求め続ける。
快感を求める行為は自発的なもので、時間の許す限り、体力の許す限り果てしなく。
人は何かを求めて行動してる時は楽しい。忙しくしつつも楽しい。


自身が置かれた状況が悪い人は、不快事項ばかりなので、不快の解消を求める。
不快は解消出来ればそこで一旦終わる。ほっとして、欲求は消える。
不快の解消は自発的なものでなく、苦しいから仕方なく。
仕方なくやってただけだから、不快が消えたらもうやらない。
不快から脱すると心地良い。何もしなくても、不快でないというだけで満足出来る。
平凡な日常を淡々と過ごすことが、この上なく満足。

 

人が求めるのは満足で、快感又は不快の解消でそれは得られる。

どちらでも得られる。どちらが良いとか悪いとかなんてない。
どちらを求めるかはその人の置かれた状況次第。

 

誰もが快感を求めるわけではない。
快感を求めて動かないのは不思議なことではない。
快感を求めなくとも、何もしなくとも、不快でさえなければ人は十分満足出来る。
傍からどう見えようと、当人はそれで満足してる。

 

 

 

余談:
不快でない現状に満足している人は多い。
もしかしたらほとんどの人がそうかもしれない。
そういう人は特別何かをしようとはしない。
しなくても満足なのだから、人に何を言われようと、しない。


出来ないからしないというのは別として、出来るのにやらないのはこれ。

それで良いなら良いのだけど、良くない場合も多々ある。
こういう場合、快感を餌に何かをさせようとしても効果はない。
何かをさせようとするなら強制しかない。
満足している人を無理やり不快な状況に追い込んで、
嫌々ながらでもやらざるを得なくさせる。
当然ながら当人の意思は無視して。
これしかない。それが出来ないなら何もさせられない。

 覚悟を持って、強い意志で強制する他ない。